思い起こせば
高校を卒業後、小さい頃から憧れていた「船頭」予備軍に

4月に卒業して、その年の9月9日には新造船「第2こうゆう丸」就航に伴い9月に初代こうゆう丸での船頭デビューとなりました。
当日は釣れるかな




平日の船頭ビシアジ釣りデビュー戦の日は、同級生で現役漁師の「直次」も同船して、確かお客様は3人か4人でした。
通称「ブロック」と言う今でも必ずやっているアジポイントで朝イチから良型交じりで釣れました

今、みたいにプロッターやカラー魚探、レーダーなどの電子機器は勿論なく「紙の魚探」のみでポイントは全て経験からの「山だて」でした。
後半はポイントの引き出しが無くて



前半の貯金があったのでお土産は取れた「記憶」が残っています

当時は午前・午後船という出船体制は無かったので1日船で午後4時沖上がりが通常でした

今年の9月

あれから満42年の船頭生活を続けて来れたのも沢山の「お客様」に支えられて今の「こうゆう丸」がある事に感謝です。
その42年間「苦楽」を共にして「こうゆう丸」を大きくして来るのに一緒にやって来た「勝美船長

16年前に家業を継いだ「ユウタ船長」とこうゆう丸に関わった全てのスタッフさんが居たからこその今です。
釣り業界の皆様にも大変お世話になりました。
サンスポ関係者を始めに、つり情報の根岸社長


自分の船頭人生で最も怖いもの知らずバリバリ、オレャオレャ時代に知り合った「三石忍さん」との出会もそうでした。
彼女は俺と同じで口は悪いが「怒られた




釣り業界で1番、魚の気持ちを分かって魚と対話が出来る「釣り人」と確信しています

最後に自分が結婚する前からお世話になっている「サンスポ」親父と店主交代が35歳の時でした
あれから約25年、一般会員から飛び級の「三役役員」に抜擢されてからの20有余年
今年の12月で「サンスポ会長職」も満期を迎えます。
横浜フィッシングショーの表舞台からも卒業しました

また、会長職ラストの2年でお世話になりましたHapysonガールの「鈴原ありささん」サンスポ紙面での連載やサンスポイベントへの参加やMC担当と自分の会長職ラストイヤーに向けてに大変お世話になりました

70歳まで、まだ10年位は現役でお願いできますか

古い写真もあるんですが、これまでの自分の人生を振り返るマジなコメントなのであえて、写真は添付しませんでした。
「こうゆう丸」代表取締役
氏名:荻野裕司
生年月日:昭和34年10月14日
間もなく満60歳

まだまだ現役

頑張ります


