スマホで写真を撮って拡大すると・・・。
裕司船長が多分、小学校に入るか入らない頃の昭和30年台後半頃かと❓
実家の短く細い路地を出ると道を挟んで木製の電信柱があり、赤い部分は「ドブ」でした。
細赤い丸部分はドブに角材を渡してその上に物を乗せている様ですね?
座っているのは、懐かしい大昔の町内のゴミ箱と記憶しています。
写真の左側にも同じ様なゴミ箱があります、そしてサイドミラーの様な鏡が写っているという事は、この写真は車の中から又は自転車から撮られたのかな?
この時代は「自転車」はともかく?「車」「カメラ・写真機」まだまだ超高級品だったのは間違いないかと?
写真の右側には
「つり船・はやし」と書いてありますが、「つり船・はやし」が「こうゆう丸」のルーツです。
「こうゆう丸」と表示し始めたのがサンスポ推薦船宿となった昭和50年代頃からです。それ以前は「こうゆう丸」創業者で裕司船長、勝美船長の父親「故荻野恒秋氏」が1人で遊漁船業を営んでいた頃は「荻野釣船店」と名乗っていました。
この写真も木造船しか無い時代です。右端の三輪車に跨っているのは裕司船長かな❓勝美船長かな❓(笑)
それ以前は「恒秋氏」義理の父親「故林藤吉氏」が初代の遊漁船業を営んでいて「藤吉氏」が病に倒れる数年間は2人で2隻体制での出船と聞いています。
この2枚の写真はトモのスカンポを立てる「タツ」の形が同じようなので同じ船かと思いますが、この船でも大型船だったのですかね?
この写真は「タツ」の形が違うので違う船かと?
帆が膨らんでいるので、風を船尾から受けての移動中ですね❗️
この写真の頃には船も以前より大型化されてますね👍
しかし、どの写真も舵から直の『舵棒』での操船です。
お客様が使っている竿は貸竿でノベの竹竿で穂先はグラスだったのかな?リールは1対1のタイコフジリールですね!
写真左側には「アジ」の魚影かな?機関場から前の方は立っているので、入れ喰いかな❓
後の山筋から、現在でもアジが着く、釣れる「フジマヤ」の様な感じです⭕️
写真中央が「故林藤吉船頭」です。
船を流しながら船頭も一緒に竿出して「お客様」との話に盛り上がっていたのでしょうかね?
「船頭」から現在は「船長」と呼ばれる名称は変わりましたが、釣らせる側の人間っていつの世も「いい顔」してますね✌️
小さい古い写真から始まった長文にお付き合いありがとうございました❗️