先日の「裕司船長ブログ」投稿したんですが、歴代の「こうゆう丸」のうち勝美船長が初めて任された「第三こうゆう丸」は思い入れのある船でした❗️
進水を前に右端下で左手を上げて指示を出しているのは、25歳の「裕司船長」でした。
進水の瞬間です✌️
これから機械屋さんがエンジンにオイルを入れてエンジン始動でした。
エンジン始動から暫く暖気運転後、運河から外の岸壁へ係留しました。
釣座は40センチ、釣座の前デッキも広く取って造ってもらいました。
母港への回航時には、勝美船長(23歳)が初めて任される「相棒」へ御神酒をあげての回航でした❗️
初出船は土曜日で、アイナメ釣り🎣親父・恒秋氏も勝美船長と同船して、帰って来たらコベリに湯呑み茶碗を置いてもピクトもしない位、足が強い❗️って言ってたのを記憶しています。
この年の年末12月解禁のアイナメは空前のワキで半日船での釣果は100尾台の方も出る程でした。
父親・恒秋「こうゆう丸」裕司船長「第2こうゆう丸」勝美船長「第3こうゆう丸」と3隻体制でお客様のニーズに応えながら御贔屓頂きました。
第3こうゆう丸、現役タチウオ船では、今では考えられない週末になれば満船の35名を乗せての出船も当たり前の出船でした、お客様がボースベッドの隅でも良いので乗せて下さい❗️とお願いされた事も度々ありました👍
そんなにも働いてもらった「第3こうゆう丸」も平成8年に「第18こうゆう丸」就活に伴い、売却となり受け入れて頂いた所へ「お嫁に」行く事になりました。
年に1、2回 安浦港へ上架に来ていました、お嫁に出した「娘」が里帰りした様で、誰も居なくなった上架場所へ行って、懐かしく思い写真撮ったりしました。
そんな第2の人生をおくっていた船が、色々な諸事情によって『解体』されたって今日、嫁入り先の方から報告を受けました。
お嫁に行って他の方所有の船となり20数年経ちましたが、悲しく複雑な思いです・・・。