☆「船頭」としての人生を卒業しました。小学生の低学年の頃から父親の故・荻野恒秋の船に乗って(当時は木造船)釣りをしました。
昭和47年裕司13歳の元旦の朝に父親から7月に進水する船(FRP船)の船名は恒秋の恒と裕司の裕を取って『恒裕丸(こうゆう丸)』と命名するとはなしがありました。
それから5年後の18歳と11ヶ月で1人船頭として「お客様」を乗せて沖に出始めました。
裕司24歳の頃から『サンケイスポーツ』のお世話になるのを機に漢字表示の『恒裕丸』からひらがな表記の『こうゆう丸』へとなりました。
あれから、48年2ヶ月という時間が経ちました。時代と共に釣物も変わりメバル、カサゴ、シロギス、イシモチ、スミイカ、アイナメ、8時30分から16時までの出船パターンでした、がその後早朝アジや午後アジ釣り、午前アジ釣り半夜メバル釣りとなりお客様のニーズにあった釣り物や出船パターンも変わっていきました。昭和の終わり頃からタチウオ釣りを久里浜船の次に取り入れて、タチウオとアジがメインの釣り物と変わって行きました、5年前からはショート出船と変わりました。温暖化により対象魚の変化や出船パターンも時代、時代の変化で臨機応変に対応してきました。
メイン船長も『恒秋船長・裕司船長・勝美船長』父親、2人の息子から
『裕司船長・勝美船長・ユウタ船長』兄弟、息子と変わり
東日本大震災やコロナ禍と経営者としては厳しい時間もありました。
これからはお店の裏方の仕事や乗る船の船名も『こうゆう丸』原点の『恒裕丸』に乗り組合業務や日並みの良い日には釣りでも行きます。
長い間『こうゆう丸・裕司船頭』沢山のお客様からのご贔屓を頂きありがとうございました。






